昨日、仕事先から帰ってきて
自分の部屋で
寝ているように倒れていた姑を発見、
救急車で救命センターに運んだが
脳内出血で、意識回復は望めないと言われた。
とりあえず入院、
容体が安定していたし、
その状態が続けば、転院をしてもらうから、と
言われたので
長期戦かなぁと思っていた。
今日、娘二人を連れ見舞いに行って
声をかけたり、手を触ったりしていたら
容体が急変し、
あっという間に亡くなってしまった。
あまりのあっけなさに呆然。
ふたりきりの孫が会いに来てくれて
心残りが亡くなり、安心したのだろうか。
89歳、最期まで
しゃきっと背筋の伸びた人でした。
今もまだ信じられない。
自分の部屋で
寝ているように倒れていた姑を発見、
救急車で救命センターに運んだが
脳内出血で、意識回復は望めないと言われた。
とりあえず入院、
容体が安定していたし、
その状態が続けば、転院をしてもらうから、と
言われたので
長期戦かなぁと思っていた。
今日、娘二人を連れ見舞いに行って
声をかけたり、手を触ったりしていたら
容体が急変し、
あっという間に亡くなってしまった。
あまりのあっけなさに呆然。
ふたりきりの孫が会いに来てくれて
心残りが亡くなり、安心したのだろうか。
89歳、最期まで
しゃきっと背筋の伸びた人でした。
今もまだ信じられない。
コメント
なんと言っていいかですが、「しゃきっと背筋の伸びた人」だったからこそ
自分の幕を降ろすのもそういうふうに潔かったのでしょうか。
お孫さんたちに看取られて嬉しかったのでしょうね。
お見事な最期を看取られたのですね。
クラクラさんも、お疲れ様でした。
私も87歳の実母と同居しており、やっぱりいつか来るその日を
想像してしまいますが、
うらやましいくらいの理想の最期でおられますね。
これからご葬儀などでいろいろと大変かと思います。
どうかご自身もご家族もご自愛くださいね。
くるみさん
コメント、ありがとうございました。
告別式も無事に終わり、日常が戻ってきました。
あまりに突然でしたが、
潔い理想の最期だったのかもしれません。
日頃、何も言い残していなかったので
本人の意に添う様な締めくくりができたのか
よくわかりません。
迷うことがいっぱいあったし。
エンディングノートを書いておくと
残された人たちが楽ですよね。
私もボチボチ用意しとこうかなぁ。